大阪地方裁判所 昭和43年(わ)3062号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四一年八月四日午後一〇時ごろより大防市港区東田中町の「八栄食堂」で当時自己が所属していた飯場の同僚河野鹿男、および同日右食堂で知り合つた右河野の知人日高文明と共に飲食し、引続き酒店などで飲酒した後、右両名と共に翌五日午前雰時三〇分ごろ同町五丁目七五番地付近の地下鉄高架下路上を通行中、たまたま一人で同所を通りかかつたホステスのU(当時四〇歳)を被告人ら三名で取り囲み、日高が同女に対し、「ねえちやん、今晩付き合わんか。」と声をかけたのに対し、同女が、「帰して下さい。」と嫌がつたにもかかわらず、こもごも同女の腰を持ちあるいは腕をつかむなどして同区八幡屋松之町一丁目(その後、同区田中三丁目一番と表示変更。)の国際見本市会場跡入口付近に同女を伴い、おりから深夜でもあり付近に人通りもないのを幸い、右日高および河野と共謀のうえ、同女を強いて姦淫しようと企て、日高において同女に対し、「俺が目を付けた女は絶対に逃がさん。世の中に怖いものはないんや。」と申し向け、嫌がる同女の顔面を数回なぐり、その大腿部を蹴るなどの暴行脅迫を加え、三名共同して同女を右入口より同会場跡構内のバイヤースクラブ建物北西側の草むらに連れ込んだ後、日高において同女の和服の帯を解き、抵抗する同女の顔面をさらになぐるなどして着物、下着等を脱がせ、同女をその場に仰向けに押し倒し、その反抗を抑圧したうえ、被告人において強いて同女を姦淫し、次いで河野において同女を強いて姦淫し、その際、前記暴行により同女に対し加療約一週間を要する左大腿部伸側皮下溢血の傷害を負わせたものである。
(公訴事実中、日高文明の増井アパート内自室における所為につき被告人の罪責を認めなかつた理由)
本件公訴事実中、被告人らの判示所為に引続き、大防市港区東田中町三丁目九一番地増井アパート内の日高文明の自室において、右日高が前記Uを強いて姦淫したとの点についてみるに、前掲U証言および日高文明の供述調書、実況見分調書によれば、判示犯行後日高自身はさらにUを自室に連れ込んで脅迫のうえ、強いて同女を姦淫したことが認められるのであるが、……を綜合すると、判示見本市会場跡で被告人と河野が順次同女を姦淫した後同女から一〇メートル程離れて立つている間に、日高も同女に抱きついて行つたが、同所では姦淫に及ばず、同女に対し、「こんなところではできない。」旨言つて着物を着るように命じ、被告人および河野に対し「あとは俺にまかしておけよ。」と言つたので、すでに姦淫の目的を遂げた被告人および河野はこれを了承して日高と別れたことが認められる。その際、被告人は、判示姦淫の場所で日高が姦淫行為に及んでいないことを知つており、また、被告人の検察官調書には「日高が女をどこかへ連れて行つて関係すると思つていた」旨の供述記載があるが、たとい被告人に右程度の認識があつたとしても、日高がその後同女を強いて姦淫するとの点についてまで明確な認識があつたと認めるに足りる証拠は存しないのみならず、日高が別れるに際して被告人らに告げた前記文言からすれば、以後同女を日高一人の支配におくこと、従つてその後の同女に対する行為につき日高のみがその責を負うことを了承し合つたものと考えられ、ことに、被告人と日高とは当日が初対面の間柄であり、しかも酔余の現場共謀に基づくものと認められる本件犯行の態様をも考え併せると、右日高の言葉を了承して別れた時点において、Uを強姦するについての被告人と日高との相互依存ないし協力関係はすでに切断され、従つて共謀関係は消滅したものと解するのが相当である。
してみると、事後の日高の前記犯行につき被告人の罪責を認めることはできないが、右は判示強姦致傷罪との関係では一罪の一部を構成するものとして起訴されたものと認められるから主文において特に無罪の言渡をしない。(野曾原秀尚 井上隆晴 松本克己)